教祖になりたいわけじゃない。「自立した関係」のコミュニティとは | 暮らしと循環のデザイン

教祖になりたいわけじゃない。「自立した関係」のコミュニティとは

こんにちは。 自分の活動を広げていきたい、共感してくれる人を集めたいと願いつつも、心のどこかで「カリスマ的な先生になって、周りに人をはべらせたいわけじゃないんだよな……」とブレーキを感じたことはありませんか?

今日は、アロマセラピスト兼ボディワーカー「ミホさん(40代)」が、お客様との「関係性の作り方」について、ハッとさせられたエピソードをお届けします。

不安を煽る集客ではなく、自分の心地よい「世界観」を発信して、そこに共鳴(レゾナンス)してくれる人を集めよう。 そう決意してブログを書き始めたミホさんでしたが、実は心の中に、まだ一つ小さな恐れがありました。

「私の世界観に憧れて人が集まってくれるのは嬉しいけれど……それって一歩間違えると、ちょっと危ないコミュニティにならないかな?」

ミホさんが恐れていたのは、いわゆる「新興宗教の小さなコミュニティ」のような、閉鎖的で依存的な空間になってしまうことでした。 「先生、すごい!」「先生の言う通りにします!」「先生がいないと私ダメなんです」 そんな風に、自分を教祖のように祭り上げ、依存してくるお客様ばかりになってしまったら……想像するだけで息苦しさを感じていました。

というのも、ミホさんは過去に「誰かに何とかしてもらおう」という依存的なお客様の対応で、ひどく疲弊した経験があったからです。 自分が偉そうに上から目線で指導するのも嫌だし、かといって、ずっと寄りかかられるのも重たい。

「どうすれば、もっと風通しの良い、健全な関係を作れるんだろう?」

その疑問に対する答えは、ある経営者仲間との対話の中で見つかりました。 その友人は、ミホさんにこう言いました。

「教祖化(洗脳)してしまうコミュニティと、健全なコミュニティの違いって、すごくシンプルなんだよ。『相手の判断力を奪うか』それとも『自立を促すか』の違いなんだ」

友人の話によると、依存させるプロセスの典型は、まず相手の既存の価値観を壊して真っ白にし、そこに「私の言うことが絶対の正義だ」と植え付けること。そうやって自分で考える力を奪うのが、依存(洗脳)の始まりだと言います。

一方、健全なコミュニティでは、古い思い込みを外す手伝いはしても、真っ白になったキャンバスに何を描くかは「自分で考えて、再構築してもらう」のだそうです。

「ミホさんが伝えたいのって、『私の言う通りにすれば治るよ』っていうことじゃないよね?」

その言葉に、ミホさんは深く頷きました。 「はい。私が伝えたいのは、『自分の心と身体を自分で整え、自分で自分の暮らしをデザインしていくことの喜び』です」

「それなら大丈夫。ミホさんのその『自分で自分の暮らしをデザインする』という世界観に共鳴して集まってくる人は、初めから『自分の足で立ちたい』と願っている人たちだよ」

ミホさんは、ハッとしました。

自分で自分の人生をデザインしようと自立している人たちは、他者の生き方にもリスペクトを持てます。 「私はこういう価値観で心地よく生きている。あなたはそういう価値観なんだね、すげーじゃん!」 そうやってお互いの違いを認め合えるからこそ、コミュニティは閉鎖的にならず、風通しの良い関係性が保たれるのです。

ミホさんはこれまで、無意識のうちにお客様を「私が助けてあげなきゃいけない、自分より弱い存在(下)」として見ていたことに気づきました。だから、「依存されたらどうしよう」と勝手に重荷に感じていたのです。

「そうか。私が求めていたのは、『先生と生徒』じゃなくて、お互いに自立した『対等な仲間』として出会うことだったんだ」

自分の役割は、相手をコントロールして治してあげることではなく、相手が自分自身の力(エンパワーメント)を取り戻すための「伴走」をすること。

そう腑に落ちたとき、ミホさんの中の恐れは完全に消え去り、「これからどんな素敵な仲間と出会えるだろう」というワクワクへと変わっていきました。

今日のお話が、少しでもあなたのモヤモヤを晴らすヒントになれば嬉しいです。

「誰かの正解」や「世の中のノウハウ」に無理に自分を当てはめようとすると、どこかで息苦しくなってしまいますよね。 本当の心地よさは、自分の中にある「源」に気づき、自分自身の力で日々の暮らしや働き方をデザインしていくことから始まります。

「自分で自分の暮らしをデザインする」

もし、そんな生き方や世界観に少しでも心が惹かれたなら、ぜひこちらのページも覗いてみてください。 きっと、新しい視点が見つかるはずです。

▼ 自分の暮らしを、自分でデザインする。
私がデザインしている暮らしの実例はこちら

トップへ戻る