物語で読むコーチングの気づき|第一話「私の庭と、まだ見ぬ森」

風が木々の葉を揺らし、秋の気配を運んでくる昼下がり。

ハーブ教室「ミントガーデン」の主宰者である佐藤恵は、愛用の手帳にペンを走らせていました。

しかし、その心は晴れません。窓の外に広がる穏やかな丘の風景とは裏腹に、彼女の心には低く、重たい雲が垂れ込めていました。

原因は、数日前に知らされた、娘のバレエに関する朗報。それは海外のコンクールへの出場権という輝かしいチャンスであると同時に、恵の日常を根底から揺るがす、多額の費用と長期の付き添いを求めるものだったのです。

「週末のクラス、どうしよう…」

日曜日のクラスは、「ミントガーデン」の大きな柱です。しかし、娘の夢を応援するためには、その時間を手放さなければなりません。答えは一つしかありませんでした。

「そうだ、高橋さんにお願いしよう」

高橋誠。

彼女が育てた生徒の中で、最も才能があり、熱心な男性でした。彼なら安心して任せられる。そう頭では理解した瞬間、恵の胸の奥から、どろりとした黒い感情が湧き上がってきたのを、彼女は見逃しませんでした。

私の小さな庭園

恵のハーブ教室「ミントガーデン」は、彼女が丹精込めて育て上げた、美しく完璧な庭園(ガーデン)でした。

生徒たちは彼女を慕い、その知識と人柄に絶大な信頼を寄せていました。恵はその庭園の唯一無二の庭師であり、その事実に誇りを持っていました。

しかし、高橋という存在は、その庭園の秩序を静かに乱す可能性を秘めていました。彼は、恵の知識を忠実に再現するだけではない。彼自身の魅力と才能で、生徒たちの心を掴んでしまうでしょう。

『恵先生もいいけど、高橋さんのクラスはもっと面白いわ』

そんな声が聞こえてくる未来を想像すると、胸が苦しくなりました。手塩にかけて育てた弟子が、自分よりも見事な花を咲かせ、庭園の主役になる。それは、この庭の創造主である恵にとって、耐え難い恐怖だったのです。

「私は、彼が怖いのね…」

その本音に気づいた時、恵は長年頼りにしている老コーチの顔を思い浮かべ、予約の電話を入れていました。

老コーチの問い

「つまり、君は自分が育てた若木が、自分よりも天高く伸びるのが怖い、と。そういうことかね?」

温かいハーブティーの湯気が立ち上る部屋で、老コーチは静かに言いました。恵は、まるで心の内を見透かされたように感じ、顔を上げました。

「…はい。正直に言うと、面白くありません。私が主役でなくなった庭園なんて、意味があるのでしょうか」

コーチは頷き、窓の外に目をやりました。

「いいかね、佐藤さん。ここに、二人の刀鍛冶がいるとしよう。一人は、生涯をかけて一本の、国宝級の名刀を鍛え上げた。もう一人は、その名刀には及ばないものの、数々の名刀を生み出す優秀な弟子を十人育て上げた。さて、百年後、より偉大な刀鍛冶として名を残すのは、どちらだと思うかね?」

恵は答えに詰まりました。一本の名刀の価値は計り知れない。しかし、十人の名工を育てたという功績もまた、それに劣らず偉大ではないか。

コーチは続けました。

「君はこれまで、素晴らしい一振りの刀を、自分自身で鍛え上げることに集中してきた。それは見事な仕事だった。だが、どうやら君の工房には、新しい仕事が舞い込んできたようだ。それは、君にしか育てられない、新しい刀鍛冶を育てるという仕事だよ」

その言葉は、恵の心に深く、静かに染み渡りました。

地図を広げる時

高橋さんは、私の庭を奪う「ライバル」ではありませんでした。 彼は、私の工房が生み出す、最高傑作の「作品」なのです。

彼が活躍すればするほど、世間の人々はこう言うでしょう。

『あの素晴らしい高橋誠を育てたのは、一体誰なんだ?』と。

彼の名声は、私の名声を脅かすどころか、私を「名園師を育てる名人」という、全く新しいステージへと押し上げてくれるのです。

そうだ。

私の役割は、この小さな庭園で一番の花であり続けることではありませんでした。この庭から旅立ち、まだ見ぬ世界に自分だけの庭を造る人々を育てること。そして、彼らが咲かせる無数の花々によって、世界そのものを豊かにしていくこと。

「ありがとうございます。…見えました」

恵の声は、来た時とは比べ物にならないほど、明るく、力強かったのです。

帰り道、恵は高橋さんに電話をかけました。

「日曜日、あなたに任せたいクラスがあるの」と伝えるために。

それは、庭師が自分の庭の門を開け、まだ見ぬ豊かな森への地図を広げた、記念すべき瞬間でした。

(第二話へつづく)

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